ヤッホー、茜です。

ちょっとー!

見ましたっ!?

みんな見ました!?

7月18日にBSで放送された、NHKの“池内博之の漂流アドベンチャー~黒潮に乗って奇跡の島へ”
(文字起こしと写真のトリミングに時間かかって、日がこんなにあいてしもーたけど・・・)

奇しくも、『漂流の島』を紹介したばかり!
↓ ↓ ↓
関連記事:「本好きでほんとうによかった。」



この本は、間違いなく今年最も面白かった本best 5に入るでしょう。
この本に触発されて、吉村昭の『漂流』も買っちゃったし、長平のお墓にも行ってきた。



そんな私のもとにやってきた、“漂流アドベンチャー”!これは絶対見やろっ!!!

私が驚いたのは、この企画が通り、俳優が実際に鳥島の地を踏んだとゆこと。

だって、『漂流の島』にも書いてあったけど、鳥島はアホウドリの保護区で一般人の立ち入りは禁止されている。
筆者が考古学的観点から江戸時代の漂流民の洞窟を調査したいって申請したときも、
NHKが漂流民の足取りを追う取材を申請したときも、
ことごとく東京都から門前払いされたのだ。

おそらく、取材班は漂流民よりもアホウドリの保護を紹介するとゆうコンセプトにして、東京都の許可を得たんだと思う。
取材班のギリギリの妥協ラインで作られたと思われるドキュメンタリだったけど、すごく楽しめた。

我が家はBS契約をしてないので、実家で録画してもらった。
今んとこ再放送の予定はないみたいなので、文字起こししてみました。(これって違法じゃないでね??)


*青字 池内さんの語り
 茶字 武内陶子


<池内博之の
 漂流アドベンチャー 
~黒潮にのって奇跡の島へ~>


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太平洋。
どこまでも広がる海の中に まるで川のように流れる激流がある。
世界最大の海流の一つ 黒潮だ。
この黒潮に流されていくと その先に「奇跡の島」があるという。
江戸時代 嵐に流された漂流者がたびたびたどり着いた。
そして10年20年も生き延び 故郷に生還したのだ。

いったいどんな島なのか?

漂流記によると そこは無人島。
水も木もない絶海の孤島だ。
いたるところに怪しげな鳥が住むという。
彼らはなぜそんな過酷な島で命を繋ぐことができたのか。
多くの漂流者を押し流した黒潮に乗って 僕もその奇跡の島へ行ってみたいと思った。
漂流者たちは大海原で何を感じ 島でどんな体験をしたのだろう。

僕の10日間の冒険の記録だ。

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四国最南端の町高知県土佐清水市。

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遠く赤道付近から北上してきた黒潮が日本の本土に最初にぶつかる場所だ。
黒潮に乗るにはまさにうってつけだ。

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黒潮とともに生きてきた土佐清水市。
毎日新鮮な魚が水揚げされる。


4月30日。僕の冒険はこの港から始まった。

「あ~天気もいいし最高!」

さっそく航海に使用する船を訪ねた。

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迎えてくれたのは艇長の長谷川富延さん。
ヨット歴は40年以上。数々のレースで優勝してきたベテランのヨットマンだ。
船名は“ローズ・デイ・ベンティ”。
“風のバラ”という意味だそうだ。

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ヨットは江戸時代の漂流者たちが載っていた帆船と同じように風で走る。
帆を下せば黒潮を漂流することもできるはずだ。

「よいしょ・・・おぉ。
 あ~広い!広いですよ」

船の中は想像以上に設備が整っていた。
キッチンやベッドルームもある。

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「波の音が聞こえますねここ。
 こんな感じなんだ。
 すごい狭い!
 はあ~おもしろいな」

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しかし海の上は常に死との隣り合わせ。乗船中は命綱が必要だという。

(艇長)
「船から落水することは本当に危険。死につながりやすい。
 まあそこの点だけね。必ず落水しないように。
 いくら自分が泳ぎが得意だと言っても泳いで泳ぎ切れるもんじゃないですから。
 絶対船から離れないということをまず注意していただくということが一番重要ですね。」

艇長の言葉に身が引き締まった。

「リアルに今回の旅は・・・不安。めちゃくちゃ不安ですよ。
 だって・・・天候次第でどうなるかわからないし しかもヨットでの生活ってやっぱなかなかないし。
 もうほんとうにあとはもう流れに任せてどう対応していくか・・・。
 でもやっぱり不安ですよ。
 だって何が起こるかわからないから。」

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翌朝早朝6時。

「いや~・・・いよいよ出発。」

期待と不安が入り混じる中 船出の時を迎えた。
風のバラ号のクルーは艇長の長谷川さんを筆頭に 総勢5人。
みな30年以上のヨット歴を持ち 中には世界の海を縦横無尽に航海してきたつわものもいるそうだ。

この日の天気は雲一つない快晴。
風がないため帆は上げず エンジンを使ってしばらく走るという。
港を出ればいよいよ黒潮だ。

「結構波荒れてるような気がするけど穏やからしいです。
 ・・・穏やかじゃないじゃないですか!これ穏やかですか!?(笑)
 不安だ・・・。
 どうなっちゃうんだろう。」

足摺岬を左に見ながら 黒潮に乗って東へと向かう。

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(船員)「上げますセールアップします!」

わずかながら西風が出てきた。
追い風を捉えようとクルーたちが帆を上げ始める。
ヨットは一人一人が力を合わせなければ動かない。
僕も手を貸すよう言われた。

(船員)
「重くなってきたらウィンチハンドルで引かないとダメ。逆に回すとスピードが倍になる。
 OKOKOK」
「OK?ハイ。」
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「共同作業でしたね」

安全な航海のためには見張りも欠かせない。船やクジラとの衝突は命取りになるからだ。
24時間走り続けるヨット。
見張りは交代で務め、非番の者は昼寝。身体を休ませることも大切な仕事だという。
僕も見張りを買って出た。

「コンテナ船かな?なんだ?
 あれなんですか?向こうに見えるの。ビルみたいに立ってるやつ。」

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日本の太平洋沿岸に沿って流れる黒潮は海上交通の大動脈でもあるようだ。

帆に風を受け風のバラ号は一気に速度を上げた。
黒潮の流れも相まって時速は20キロ以上に達している。
黒潮は世界最速の海流。場所によっては秒速2mにもなる。

出港して10時間。
室戸岬の沖合に黒潮の流れを実感できる場所があった。
高知県が漁礁として設置した巨大なブイ。
大きさは直径10mもあるが黒潮の激流に翻弄されている。

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「サーッって行ってますからね。」

まるで川のように流れる黒潮。

(船員たち)
「じゃあもう風逃がしてください。」
「は~い」

帆もエンジンも使わずにヨットを黒潮に漂わせてみることにした。

「おっエンジンを切りました。」

(船員)
「もう今エンジンは使ってませんから。」

「流されてる。」

「海面が盛り上がってるでしょ?潮の流れで盛り上がってるの。」

「うわ~早いですね通過がやっぱり。
 すごいですよ。もうあそこ向こうに行っちゃいました。」

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「5ノットですから。今5.4ノットですね。エンジン使わずに潮だけで5.4ノット。
 少し風もありますけどほぼ5ノットぐらい出てると思います。」

(5.4ノット=自足10キロ)

「ちょっと怖いですね。」

(艇長)
「漂流者はここをスーッと通って行っちゃう。あっという間に。
 あとは黒潮の流れに身を任せるしかない。
 潮に乗ったときの速さというのは本当に怖い。」

古くから“黒瀬川”と呼ばれてきた黒潮。
江戸時代には多くの船乗りがこの海流にとらわれ、なすすべもなく流されました。

その壮絶な体験は今も記録となって残っています。
これは3人の仲間とともに14日間黒潮を漂った男の漂流記。

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土佐赤岡の船乗り、名前を「長平」と言います。


天明5年1785年 長平は米を運ぶ船に乗っていて嵐に遭遇しました。


昼五つ時分、あなじ(北西風)、北風火花を散らして吹き出で、
沖をさしてぞ流るるなり、
皆々途方に暮れ、神仏を念じ申すばかりなり、
九つ時分に外トとも(船尾の外板)打ち落とし、
水はず(水桶)つい流し、
同八つ時分、地山等も霞のように相成り見失い、
いずくともなく流れ行く。


(天明五年 土州赤岡 長平漂流記)


長平たちが乗る船は荒波で外側から壊されていき、大切な飲み水が入った桶も流されてしまいました。
実は、江戸時代は年間1000件もの海難事故が起きたと言われています。
その背景にあったのは船の構造的な欠陥でした。

これは長平たちが乗っていた当時の船の模型。

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鎖国政策をとっていた江戸幕府は、国外渡航を防ごうと船の背骨ともいえる「竜骨」の使用を禁止。
そのため船の安定が悪くなっていたのです。

さらにベテランヨットマンの長谷川さんは、当時の船にはもう一つ問題があると指摘します。
それは幕府が帆柱を一本に制限したこと。
これではとても嵐には耐えられないと言います。


(艇長)
「船体としては強く造ってあるんですけど・・・問題は一本のマストしかないこと。
 マストが折れてしまえばただの浮かぶ風呂桶。
 コントロールできない状態になる。」

長平たちを海の彼方へと連れ去った黒潮。
風のバラ号もメインセールとエンジンを使わないまま一晩その流れに身を任せることにした。
果たしてヨットは室戸岬沖からどれぐらいの距離を流されるのだろう。
この日の夕暮れ海は茜色に染まった。
長平たちはどんな思いで沈む夕日を見送ったのだろう・・・。


2016.5.2 5:00am


一夜明けた二日目の朝。
池内さんが乗る風のバラ号は室戸岬のはるか東、和歌山県の紀伊半島沖を漂っていました。
12時間でおよそ80キロも流されたことになります。

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「何もないですよね。
 今は人数が多いからいいですけど少人数だったら孤独だし船も通らないし 波のこの動きも予測がつかない し・・・。
 僕自身これまで漂流し始めてからちょっと経ちましたけど不安と怖さっていうのが入り混じってますよね・・・。
 だから江戸時代に漂流した方々もそういう気持ちってあったんじゃないか。」

長平たちはその後どのように黒潮に流され、奇跡の島にたどり着いたのでしょうか。
これは海洋研究開発機構が観測した黒潮の流れ。
もっとも典型的なものは四国沖からまっすぐ東に向かいます。

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ところが黒潮は、しばしば紀伊半島の沖合から南へ大きく蛇行して流れることがあります。

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長平をはじめとする多くの漂流者たちは、こうした黒潮の蛇行によって、はるか南に流され奇跡の島にたどり着いたと考えられています。


皆々何の手段も力もなく、
皆々髪を切り、ご立願をこめ、
神心ばかり申し候、
汐をもって米をむして、それを食とし、汐を飲み、
とやかくいたし流るるなり。


黒潮によって大海原へ流された長平たちの生活はどんなものだったのだろう。
この日は一日漂流者になったつもりで過ごすことにした。
飲み水の入った水桶を失い海水で米を炊いたという長平。
彼に習ってそれを試してみる。

「ちょっとしょっぱいかも。うん・・・うん。あしょっぱい!
 海水はしょっぱいのが当たり前だけどちょっと濃さが違う。」

実は黒潮の特徴の一つは塩分濃度が高いことだという。
降水量が少なく日照時間が長い亜熱帯地域を通って流れているためだ。

「飲んだら飲んだで逆に喉が渇く。
 これで飯を炊いたらどうなるかちょっと気になりますよね。」

もちろん海水で米を炊くのは初めての経験。
怖いので一合だけにしておいた。

(米が炊き上がって甲板でみんなで試食)

「いきますよ。ハイ!ジャン!」

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(一同)
「おお~。」「つやつや!見た目はつやつや!」「美味しそう!」

「美味しそうですよね」

見た目は普通のご飯と変わらない。

「いただきます。」

(船員)
「うまい?」

「あっ・・・でも・・・塩辛い!塩辛いけどなんか海苔まいたら食えそうな気もする(笑)
 もし当時の人たちが漂流して米を海水で炊いていたとしたら、絶対のど乾きますよね。
 100%!!」

風のバラ号のクルーたちにも試食してもらう。

(気象情報管理 堤内要さん)
「あっ最初はいいじゃん。
 ・・・あ~・・・。
 噛めば噛むほど塩が吹出てくる。」

(装備担当 古屋佳也さん)
「喉の奥にしょっぱさを感じる。この奥の方で。舌の先じゃなくて喉の奥の方で。
 ムリですコレ(笑)
 30年近いクルージング人生で初めて。
 これダメだって先輩から聞いて・・・遭難して漂流しても海水だけは飲むなと言われている。
 それをわざわざ試すことはない。」

太平洋を横断するなど豊富なヨット経験を持つ古屋さん。
海水で米を炊くことはご法度だと教えられてきた。かえって水が欲しくなるからだ。
長平たちもそれを知っていたはずだが・・・。

現代のヨットでも真水は貴重品だ。

「べとべとしているから拭かないと・・・
 シャワー浴びたいっすよね・・・。
 大変ですよねほんとに・・・。真水が使えないってのは。
 東京とかだと普段の生活では水って普通に使えてるけど こういう状況やっぱり使えないってのはね・・・。」

周りには水しかない海の上で水のない辛さを味わうとは・・・。
皮肉としか言いようがない。


(*・・・と、かっこいい語りを被せながら、鍛え上げた肉体を惜しげもなく披露しながらウェットティッシュ・・・ではなく赤ちゃんのお尻拭きで身体を拭く池内さん。
このロケ、何日もお風呂に入れないって聞いてドラッグストアで大量に買い込んだんでしょう
お尻拭き安いですからね・・・けど拭いても拭いてもなかなかさっぱりしなかったに違いない
お尻拭き、水分が少ないんですもん。)



と、その時。
クルーたちが船べりをたたき出した。

「お~すごい!すごいよ!お~!」

ミナミハンドウイルカの群れだった。

「すごい!遊んでる遊んでる。」

歓声に応えるように何度も跳躍を繰り返すイルカたち。

「あっほんとだ!あっちにもいる!すごい!うわ~!」

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窮屈なヨットの苦労が一気に吹き飛んだ。

「まさかの・・・。歓迎されてますよね。」


日が傾きかけた頃だった。

(船員)
「よっしゃ!きた~!」
「もっと開いてもっと開いて」

仕掛けておいた釣り竿に当たりが出た。

「あ~なんか・・・魚ですか?かかってるかかってる。泳いでる泳いでる。」

釣れたのは体長40センチほどのカツオ。

「カツオだ~!今日の夕食!
 イエ~イ!釣れたど~(笑)」

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思いがけず手に入れた海の恵み。長平たちも食べたのだろうか。

(船員)
「醤油とわさびと塩です。」

「いいじゃないですか!」

(艇長)
「身がキュンと締まってこれは最高ですよ」

「いただきます。
 すご~い!こんなの食ったことないかもしんない。
 身がねすんごい締まってて。もうブリッブリ!」

(船員)
「うんうまい。自然の恵みだ。」

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「おっ・・・」

一羽のツバメが飛んできた。

(船員たち)
「似合う!お~いいねえ(笑)」
「ちょっと写真写真・・・すごい愛されてる(笑)」

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遠く東南アジアから日本に渡る途中仲間とはぐれ海の上をさまよっていたのだろうか。

<夜>

「流れ星ビュンビュンですよ!」

「太平洋の真ん中で出会った鳥です。」

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あのツバメはまだ乗船中。

「なあ?疲れちゃって多分ここに来たんだよなお前は。
 珍しいですよねえ・・・ホラ。
 こうやって撫でても・・・ちょっとびっくりしてるけど。
 お腹触るとちょっと怒るんですよ。
 ・・・あ~行っちゃった行っちゃった。おいでおいでおいで。
 いいですね新しい乗組員ができましたね。」

広大な海の上での奇跡的な出会い。
やがてツバメは月明かりに照らされた海を北に向かって旅立って行った。


2016.5.3 6:00am


一夜明けると穏やかだった海が荒れ始めた。

(堤内さん)
「15から10?風の・・・10から・・・」

気象担当の堤内さんが衛星携帯電話で今後の天候について情報を仕入れる。

「今日の午後からですね本格的に風が強くなってきて風速20ノットを越えてくるでしょうということですね。
 波の高さは3~4メートル。
 今見えてる波の3倍ぐらい」

(風速20ノット=風速10メートル)

どうやら寒冷前線が接近しているらしい。
風で破られないよう 帆をロープで縛り 万全の態勢で嵐に備える。
事前に対策をとれるのも科学技術が発達した現代だからこそ。
江戸時代の船乗りたちの苦労を思うと想像を絶するものがある。

午後1時。
予報通り風と波が強まってきた。

「ちょっと想像以上ですね・・・。かなり荒いし怖さを感じますよね・・・。」

風のバラ号は大きなうねりで翻弄され続けた。
ただでさえ嵐に弱い船に乗っていた長平たちはどんなに心細かっただろう。

「これだったらいろんなところが壊れてもおかしくないですよ。
 すごいですもん流れとか・・・風の強さもすごいし。
 島なんて見えませんからね。船も出会わないし。言葉に出ませんよね。」

ふと見るとクルーの堤内さんが船酔いに苦しんでいた。
ヨットの経験者ですらこの激しい揺れは相当こたえるようだ。

(堤内さん)
「情けない・・・酔わないつもりだったんだけど。」

今夜は試練の夜になりそうだ。


2016.5.4 8:00am


ヨット生活4日目。激しい揺れは夜が明けても続いていた。
立っているのもやっとの船の中 料理担当の長尾さんが朝食を作ってくれた。
匂いに誘われて目が覚める。

「あ~おはようございます」

(長尾さん)
「おはようございます。」

「何ですかメニューは。」

「創作料理です。材料がないです。昨日のご飯残りを利用して雑炊です。」

「いいですねお腹に優しくて。」

(撮影スタッフ)
「池内さん昨夜は寝れました?」

「寝れませんでした。全然寝れませんでした。
 すごかったですよ昨日。
 ジェットコースター。
 もうこっち行ったり予測不可能。真っ暗闇の中をジェットコースターに乗ってるような感じ。
 途中浮くんですよベッドから身体がふ~って。
 でベッドに叩きつけられるんです。ドーンって。」

船酔いと寝不足に耐えここまでどうにかやってきたが 気力も体力も限界に近付いていた。

「どこかにたどり着きたいですよねいい加減。
 これいつまでやってるんですか?(笑)
 辛いわこの状況ずっとやってるの
 
 あ!なんか・・・影が見える!影影影!!

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 なんかうっすらと見えてきた。
 なんか岸壁みたいな感じで。
 右が岸壁にみたいな感じで左が穏やかな地形。
 大きいから人がいるかもしれない」

(船員)
「緯度経度からいうと鳥島っていうんですよ。
 今は人が住んでいません。無人島です。」

「無人島なんですか!?あんなでっかいんですか」

土佐清水から南東に750キロ。
鳥島こそ長平たちがたどり着いた“奇跡の島”だ。

「嬉しいな。島が見えてきたってだけで・・・」

(艇長)
「4日ぶりに島を見るのは感動するでしょ?」

「感動ですよ!」

海岸には高さ100mを超す断崖が続く。
赤茶けた斜面には木もほとんど生えていない。

「早く鳥島に上陸しましょう!早く上がりたいです!」

だが鳥島に近づくにつれうねりは増した。
一体上陸できるのだろうか。
 
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(艇長)「上陸!?ムリ!!これだよ!?」

残念だが嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
夕方激しい雨が降り出した。

「おっしゃ~!4日ぶりのシャワー!」


2016.5.5 4:50am

翌朝水平線から朝日が昇った。

まだうねりは残っているがこれなら上陸できそうだ。
だが鳥島は甘くなかった。
断崖が続く海岸線はいたるところ岩礁に覆われ 近づけばヨットは間違いなく座礁する。
一体どこから上陸したらいいのだろう。

長平たちは島の西側から上陸したという。
僕もそこからエンジン付きのゴムボートで上陸することにした。

共に航海してきたヨットのクルーたちとはここでお別れだ。
この島にはヨットが停泊できる港はない。
今でさえ大きな危険が伴う鳥島への上陸。
長平たちはまさに決死の想いだったに違いない。

島の西側には小さな入り江があった。
安全確認のために先に上陸したスタッフにロープを投げる。
4日ぶりに触れる揺れない地面。
思わず全身から力が抜けた。

「一安心。陸地に着けたっていうのは。
 やっぱり海は怖いですよ。」

4日間を過ごしたヨットが鳥島を離れていく。
長平たちも船が岩場にぶつかて砕け帰るすべを失ったという。
島に取り残された彼らはいったいどのようにして生き延びたのだろう。

「あっ!なんか洞窟らしきものがありますね。」
 
上陸直後海岸で暮らしたという長平たちはこうした場所を利用したのかもしれない。

「でもここにいればなんか雨が降ってもしのげるし 
 風がこう真向いでなければここはいい・・・ちょっと休憩するにはいい場所かもしれませんねここ。」

しかし洞窟のすぐ目の前は海。
辺りには波で打ち上げられた漂着物も散乱している。

「・・・ってことはここまで水が上がってくるってことなのかな。」

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海が荒れたらここではひとたまりもない。
命からがら島にたどり着いた長平たちは その後島の北側にある洞窟で暮らしたという。
とりあえず僕も断崖の上を目指した。

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「よいしょ・・・ハア なんだ?これ」

崖の上には以外にもコンクリート造りの建物が並んでいた。
もしかして人が住んでいるのだろうか。
だが建物は風化が進みボロボロだ。
人の気配も全くない。

「何にもないっすね。」

やはりここは無人島のようだ。

鳥島にひっそりとたたずむ廃墟。
この建物はもともと気象庁が設置した気象観測所でした。

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観測を始めたのは終戦から間もない昭和23年。
富士山レーダーができるまでは、台風観測の最前線として重要な役割を果たしていました。

しかし昭和40年。
観測所は鳥島におこったある異変によって閉鎖されます。
その異変とは火山活動による群発地震でした。
鳥島は日本で最も活発に活動する火山の一つ。
島の中心部にそびえる硫黄山からは、今も水蒸気が立ち上がっています。

明治35年と昭和14年に噴火。
特に明治35年の大噴火は島の形が変わるほどの規模でした。
周囲8キロの程の小さな島鳥島は、今も昔も人が暮らすには過酷な場所だったのです。


廃墟をあとにして再び歩き始めようと思った時だった。

「人がいますよ人が!」

無人島のはずなのに海の方から近づいてくる人影がある。

「どうもこんにちは 池内と言います。」

「長谷川です。」

「ここで何をされてるんですか」

「ここで?鳥の調査をしてます。」

「鳥の調査ですか。
 いつ・・・?僕はついさっきここに到着したんですけど。」

「ぼくもう45日目。」

「えっ・・・四十五日もいるんですか!?ここに」

「そう無人島暮らし。」

「ほんとですか・・・!」

廃墟といい長谷川博と名乗るこの人物といい驚かされることが次々起こる。
聞けば長谷川さんは国の天然記念物に指定されているある鳥の調査のためになんと四十年もこの島に通っているという。

「あれですアホウドリです。」

「アホウドリ?でかいっすね。」

「でかいでしょ。」

それは翼を広げると優に2m以上もある巨大な鳥だった。

「ヒナ」

「ヒナっすか?
 え~!めちゃくちゃ大きいですね。」

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「クロアシのヒナ。
 まだまだいっぱいいますよホラ。」

これはアホウドリよりも一回り小さなクロアシアホウドリ。
ヒナとはいえ大きさは60センチ以上もある。
側によるとくちばしを鳴らして威嚇してくる。

一方こちらがアホウドリだ。

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この鳥はのんびりしているのかほとんど人間を警戒しない。この特徴こそが“アホウドリ”と言われるようになった理由だという。

(長谷川さん)
「まあ歩き方はのんびりですね。
 昔地上では簡単に掴まっちゃった。
 それでアホウドリという失礼な名前を付けられたんですけど。
 僕は”オキノタユウ”というふうに呼ぶように提案してます。
 沖に住んでる大きくてちょっとかっこいい鳥。」

悠然と空を舞うこの鳥には確かに“オキノタユウ”という呼び名がぴったりかもしれない。

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ここはアホウドリのコロニ―。
鳥たちが子育てをしている場所だ。
実はアホウドリは 世界に四千数百羽しかいない絶滅危惧種なのだという。
ちょうど5月の初めのこの時期は 今年生まれたヒナたちが巣立ちを迎える季節。
北極近くのベーリング海やアラスカなどの海の上で過ごし 秋に再び鳥島に戻ってくるのだそうだ。

突然長谷川さんが妙なポーズをとり始めた。

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アホウドリのヒナに食べたものを吐き出させ餌を調べるのだ。
海に潜れないアホウドリは海面に漂う魚やイカ エビなどを食べる。
こうした調査を地道に続けることで 海の生態系の状態を見極め アホウドリの保護につなげているのだという。

僕はアホウドリと漂流者の関係について質問してみた。

「江戸時代に漂流してきた方々とかいるじゃないですか。
 その方々もこの鳥同じ鳥を見たんですか?」

(長谷川さん)
「これを食べて命を繋いでいた。
 アホウドリがいなかったら漂流者は生きられなかった。
 当時は島にいっぱいいましたから。」

漂流記に書かれていた“怪しい鳥”。それはアホウドリのことだった。

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その場に大鳥多くなみ居る、
我々共そばへ寄り候へども、逃げぬ様子、
能々見れば子を生み立て、子を養ふ様子なり、
その脇へ行き、大鳥四五羽、石を以って打ち殺し、持ち帰り候所、
刃物もなく、船釘を打ちのべ、
それを持って、鳥を拵え候へども、火は持たず、焼いて食事もならず、
海の汐水をもって、洗い候て喰い候へば、
至極味わいよく、それより朝夕の食い物といたし候所に、
少しも障りなく、身に相応いたし、身に幸せも実り、
達者に相暮らすなり。


「島全体が真っ白に染まるほどだった」との描写も過去の記録には残っています。

江戸時代黒潮に流されこの島にたどり着いた漂流者は、記録に残っているだけでも長平を含め実に100人以上。
そのうち80人余りがこの島で生き延び、無事故郷に生還を果たしました。
彼らが生き延びられた最大の理由が、アホウドリの存在だったのです。


2016.5.6 9:00am


翌朝僕は漂流記を手がかりに長平が住んでいたと言われる洞窟に向かった。

(長谷川さん)
「まあこの辺りが漂流者が過ごしていた穴があるっていうね。
 地図見ると・・・あの辺ですね。」

ここは島の北西部にある海岸。
漂流記の地図に“新穴”と文字が記されている辺りだ。

「あの辺に昔穴があって・・・洞窟があって岩穴があってそこで生活してた。」

「あ~でも残念ながら・・・」

「今はね溶岩の厚い層の下になっちゃってるから近づけないけどね。」

「そうですね」

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長平たちが暮らしていたと思われる場所は昭和14年に起きた噴火によって跡形もなく溶岩に埋まっていた。

「もしかしたらここ歩いてたかもしれないですね。
 ここにいたかもしれない」

(長谷川さん)
「歩いたでしょうね。
 この辺たぶん歩いたんじゃないの。こっちとか。」

漂流記によると長平たちはアホウドリを食べるだけではなく卵の殻を使って雨水を溜めていたという。
この島には湧水がないからだ。

「あっあった!卵!」

「あった?ちょっと取り出してみたら?大きさがわかるよ。」

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どうやら孵化しなかった卵のようだ。

「あ~すごい。普通の卵の2倍ぐらいは・・・」

「もっとあるんじゃない?」

長平たちはこの大きな卵に穴を開け雨水を溜めたという。

(長谷川さん)
「こういうふうに地面に挿しといて。砂のところに。
 そうすると溜まるでしょ。それとってこうやって・・・。」

(二人で飲む真似をする)

更に長平たちはアホウドリの羽を利用して服を作り雨や寒さをしのいだという。

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長谷川さんが研究者らしい想像を膨らませた。

「ひょっとしたらさああして吐き戻したイカなんかさ漂流者たちは少しもらったかもしれませんよ
 きれいに海水で洗えば食べられるでしょ。」

「なるほど。」

「鳥が持ってきた分をちょっと失敬したもしれませんよ。」

あり得ないことではない、と僕は思った。
徹底的にアホウドリを活用した長平たちならそれぐらいきっとやっていたに違いない。

「なんか・・・いろんな知恵を振り絞って生きていく人間の力っていうか それがやっぱすごいなと思うし
 その精神力だったりそういうところはちょっと・・・ちょっと想像がつなかいけども
 なんつうんだろう・・・う~ん。
 いやもう凄いとしか言いようがないですよね。
 僕は無理だなハハハ・・・。」

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2016.5.7


鳥島に来て3日目 再び海が荒れた。

島は霧に包まれ何も見えない。
鳥島は西から風が吹き出すと途端に天候が崩れる。
海を渡ってくる湿った空気が山にぶつかり 雲が湧き雨を降らせるのだ。
これなら水に不自由はしない。
こうした鳥島の気象条件も長平たちが奇跡の生還を果たした理由の一つだったに違いない。
長平はこの絶海の孤島で実に12年4カ月もの歳月を送ったという。
その間鳥島にはさらに二隻の難破船が漂着。
長平は最後は14人で暮らしたという。


2016.5.8

翌朝天候が回復すると長谷川さんは僕を火山地帯に連れ出した。
この島には漂流者の他にももう一つ知っておくべき歴史があるのだという。

「これはすごいな!」

「ここに開拓の集落があったけど大噴火が起きて一瞬にして覆われてしまった。」

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かつてここには明治時代にやってきた開拓者たちの村があったという。
しかし明治35年に起きた大噴火によって村は壊滅。
125人いた住民全員が犠牲になったそうだ。
斜面の中腹に村の痕跡が残っていた。
建物の土台に使った石組みのようだ。

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「ここに住んでいた開拓してきた方々っていうのは何を主に仕事してたんですか?」

「一番の仕事はね・・・オキノタユウの羽毛を捕って輸出していた。」


鳥島が秘めるもう一つの歴史。
それはアホウドリの悲劇ともいえる物語でした。

19世紀ヨーロッパでは羽毛布団が広く使われるようになり、羽毛の需要が高まっていました。
そんな中、ヨーロッパで高値で売れる羽毛を大量に採取しようと、アホウドリに目を付けた人物がいました。
八丈島出身の実業家、玉置半右衛門です。

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半右衛門がアホウドリの捕獲事業を始めたのは明治21年のこと。
人間を恐れないアホウドリをこん棒で次々に撲殺。
その羽を外国商人に売りさばくことで、全国長者番付に名前が上がるほどの莫大な利益を得たと言われています。



「その人たちはどのぐらいの数の鳥を殺してたんですか?」

「噴火が起こってね集落が壊滅するまでに15年ぐらいかな。
 その間に500万羽以上と・・・」

「500万羽!」

「以上。
 少なく見積もっても500万羽。
 だからこのオキノタユウは短い時間にほんとたくさん捕られた鳥の一つだと思いますね。」

そんなアホウドリの悲劇を物語る場所があった。

「たくさんの骨があるの。」

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アホウドリの撲殺は一攫千金を狙う人々によって昭和初期まで続いたという。

「多分1930年代に最後の鳥たちをここで数百羽捕まえておそらくその死体をこの所にためといて・・・
 こういうふうにちょっと掘ればもっと出てくるかもしれない。」

かつて島を覆いつくすほどいたと言われるアホウドリ。
その数は瞬く間に減っていった。
そして昭和24年。
調査の結果1羽も確認されなかったことから一度は絶滅が宣言される。

「何の罪もないアホウドリが・・・
 まあ今これちょっとしか見れてないけどもおそらくこの下にはたくさんのね 骨があると思うんですよ。
 来れすごく悲しいですよね。
 なんか人間の欲望のためにこんなにね大量の鳥たちが犠牲になってしまうというのは・・・。」

そんなアホウドリがこの鳥島で再び発見されたのは昭和26年のことだった。

「おお~!うわっすごい!」

「すごいでしょ。」

「うわ~。」
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高さ100m以上もある切り立った断崖の下だった。
ここは鳥島の南側にある“燕崎”と言われる海岸。
この草地に数十羽ほどのアホウドリがかろうじて生き残っていたのだ。

(長谷川さん)
「断崖に囲まれて人が近づけないところにアホウドリはコロニーを見つけた。
 人を信用してなかったんですね。
 人を恐れたんですね。
 こんなところにしか生き残れなかった。」

「すっごいとこですよ。」

「賢い鳥たちが逃げ込んだところ。」

「ここだったら絶対人間は来ないですね。」

「鳥島なんて太平洋上でほんとに小さい島のほんと片隅にやっといきのびたんですね。ここでね。」

「なんか涙出てきた・・・。」

(涙をぬぐう池内さん)

大虐殺の時代を乗り越え命を繋いだアホウドリ。
彼らもまたこの島で懸命に生き抜いたのだ。

絶滅の危機に瀕していたアホウドリを救うために 長谷川さんが鳥島に初めて上陸したのは昭和52年。
再発見から四半世紀が過ぎた当時でも アホウドリの数はわずか200羽ほどだったという。
長谷川さんは当時の環境庁に保護計画を提案。
アホウドリの繁殖成功率を改善しようと奔走した。
卵を強風から守るために草を植え コロニーに土砂が流れ込まないよう砂防工事も行ったという。

長谷川さんの鳥島滞在中の住まいは小さな小屋。
かつては火山噴火に備える避難小屋だったという。

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窓もない洞窟のような部屋での一人暮らし。
長谷川さんは40年にわたって毎年ここに通いながらアホウドリを蘇らせようと闘ってきたのだ。

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そんな長谷川さんの努力は着実に実を結びつつある。
アホウドリの数は年を追うごとに増え コロニーも今では3か所に増えた。
そのうちの一つは長谷川さんたちが人工的に整備したもの。
より快適な場所で子育てをしてもらおうと造ったのだという。

「ちゃんと研究して努力して保護計画を実行してそれをまたフィードバックしてもっと良くしようとどんどんやっていけばこんくらい増えるってこと。
 嬉しいよね。
 あと20~30年すればかなりの数が見れるようになると。楽しみですよ。
 僕は生きてないけどね残念ながら。アハハハ!」

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再発見から65年を経た今年。
わずか数十羽だったアホウドリは推定で4200羽を超えるまでに増えた。
かつて人間の手で絶滅の危機に追い込まれたアホウドリが再びよみがえりつつある。


2016.5.9

旅の終わりが近づいてきた。
12年4カ月にわたりこの島で暮らした長平たち。
漂流記によると 彼らは自力で船を作りこの島を脱出したという。
ろくに気も生えないこの島で彼らが船の材料につかったもの・・・。
それは黒潮が運んできたものだった。

(長谷川さん)
「船の残骸!
 座礁した船が壊れて・・・今でも時々海流が運んでくる。」

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今も黒潮はこの島に実に様々なものをもたらしている。

「大きな流木がある!」

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波打ち際には帆柱にでもなりそうな大きな丸太が打ち上げられていた。

黒潮が運んでくる船の残骸や流木を 長平たちは根気強く拾い集めた。
船を造るのに欠かせない釘は 自力でふいごを作り 拾った古釘や碇を溶かして作った。
船が完成するまでには実に5年もの月日が流れたという。

これは漂流記に書かれた長平たちの船。

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全長はおよそ9m。
流木をつぎはぎのように組み合わせた船体に着物を縫い合わせて作った帆を張り長平たちは島を脱出したという。

「流された人たち漂流してきた人たちもね家族がいただろうし・・・
 必ず帰るっていう思いは多分あったんでしょうね。
 ここでは死ねないっていうかね。」

日々神仏に祈りただひたすら黒潮が運んでくるものを待ち続けた長平たち。
彼らをこの島まで押し流した海流は一方で救いの手も差し伸べていたのだ。

「ほんと自然がね すごいいろんなものを見せてくれた そして体感させてくれたそういう旅だったなあって思いますね。
 なんかもっともっと僕らが自然に対してもっとリスペクトして向き合っていかなきゃいけないのかなって・・・。
 すごく思いますよね。」

10日間にわたる僕の冒険が終わった。

「ありがとうございました!」

太平洋に浮かぶ絶海の孤島鳥島。
“奇跡の島”と呼ばれるこの島はこれからどんな命のドラマを紡ぐのだろう。
いつの日かアホウドリで真っ白に染まったこの島を僕はこの目で見たいと思った。

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―完―



最後まで読んでくれてありがとうございます。

長平の史実に基づいた歴史小説を読みたくなった方はこちら



鳥島に上陸して漂流者の洞窟を探検したノンフィクション


(どちらも超絶おもしろいです!!) 

アホウドリ復活への道に興味がわいたら






<前回のコメントのお返事☆いつもありがとう^^>

ミッチー
猫は犬と違って賢さを要求されてないから、バでも問題ないんちゃう?
むしろバカはバカなりに可愛がられそう。
犬は他人に噛みついたりして処分されることもあるやろうけどね・・・
ほとんどは飼い主の躾のせいやろうに。